最近、ちょっとしたことでイラッとすることがあります

例えば、バスを待っていたときのこと

みんなが列を作って並んでいるのに、先に乗ろうとする人がいました

すると、列の先頭にいた人が「みんな並んでますよ」と声をかけました

その人の返事は、

「ああ、みんな降りてから乗るんだ」

……いやいや、そういうことじゃなくて💢

ほかにも、お店で商品を雑に扱う人や、自分が急いでいるからと店員を急かす人

そんな場面に遭遇すると、私はつい腹が立ってしまいます

でも、最近ふと考えたんです

私はいったい、何にこんなに腹を立てているんだろう?

怒りの奥にあった、自分の価値観

最初は、単純にマナーの悪い人が嫌いなのだと思っていました

でも、もう少し掘り下げてみると、それだけではなさそうです

例えば、バスの列に気づかなかった人が、指摘されて「あっ、すみません! 気づきませんでした」と謝って並び直したら?

私は、それほど腹を立てなかったと思います

誰だって勘違いすることはあるし、周りが見えていないときもあります

間違えること自体が許せないわけではないんですね

でも、何も言わずに並び直したら?

きっと私は「はぁ? なにその態度💢」と思うでしょう(笑)

どうやら私は、ルールを守らなかったことだけではなく、そのあとの態度にも強く反応しているようです

そこで見えてきたのが、

他者への配慮と、自分の行動に対する誠実さ

私にとって、この二つはかなり大切な価値観なのだと気づきました

自分が迷惑をかけられなくても腹が立つ

もう一つ、興味深いことがありました

私は、自分が直接迷惑をかけられていなくても、同じように腹が立つんです

例えば、自分はバスに乗る予定がなくても、誰かが列に割り込んでいるのを見たら、やっぱり嫌な気持ちになると思います

お店で商品を雑に扱う人を見たときもそう

次に商品を手に取る人が困るかもしれないし、片づける人の手間が増えるかもしれない

だから「もう少し周りのことを考えられないのかな」と思う

つまり、私が腹を立てているのは、必ずしも自分が損をしたからではないのです

自分が大切にしているものが、目の前で軽く扱われたように感じる

そんなときにも、怒りは生まれるのかもしれません

「謝ってくれればいい」って、何様やねん(笑)

ここまで考えて、最初はこんなふうに思っていました

「気づいて謝ってくれれば、それでいいんです」

でも、あとから自分の考えを読み返して、ふとツッコミたくなりました

……何様やねん、私(笑)

そもそも、私はその人を裁く立場なのでしょうか

確かに、列を無視する行動はよくないと思います

でも、相手には私の知らない事情があるかもしれません

本当に列が見えていなかったのかもしれないし、返事の仕方も、その人なりに状況を理解しようとした結果だったのかもしれません

もちろん、だから何をしてもいいという話ではありません

ただ、私が見ているのは、その人のほんの一場面だけです

それなのに、私はその短いやり取りから「この人は配慮がない」「誠実ではない」と判断していたのかもしれません

他者への配慮を大切にしている私自身は、その相手にどれだけ配慮できていたのだろう?

ここで、最初とは違う問いが生まれました

大切な価値観が「こうあるべき」に変わるとき

私は、他者への配慮や誠実さを大切にしたいと思っています

その価値観自体を手放したいわけではありません

でも、それがいつの間にか、

「人は周囲に配慮するべき」

「迷惑をかけたら謝るべき」

という、自分の中の強い決まりになっていたとしたら?

そして、その決まりから外れる人を見たときに、強い怒りが生まれているのだとしたら?

私の大切な価値観が、同時に私自身を苦しめている可能性もあります

もちろん、社会の中で守るべきマナーやルールはあります

何でも「人それぞれだから」で済ませればいいとは思いません

でも、

自分が大切にしている価値観と、すべての人が自分と同じ価値観で行動するべきだという期待は、別のもの

そこを区別できるようになりたいと思いました

スヴァーディヤーヤからアヒンサーへ

ヨガには、スヴァーディヤーヤ(自己探究)という教えがあります

自分自身を学び、理解していくことです

私は、これをマットの上だけの実践だとは思っていません

アーサナを取るときに、身体のどこが動きにくいのか、どこに余計な力が入っているのかを観察する

それと同じように、感情にも目を向けてみる

「あ、私、めっちゃ怒ってるな」

「何にそんなに腹が立ったんだろう?」

「私は何を大切にしているんだろう?」

そうやって自分の内側を観察していく

すると、今まで意識していなかった価値観や、「こうあるべき」という思い込みが見えてくることがあります

そして、もう一つ

ヨガにはアヒンサー(非暴力)という教えがあります

これは、身体的な暴力だけでなく、言葉や思考のあり方にも関わる教えです

怒りそのものが湧いてくることと、怒りに任せて相手を傷つけることは同じではありません

ただ、相手への敵意を心の中で育て続けることも、私が目指すアヒンサーとは少し違う気がしています

だからこそ、まずは自分の怒りに気づくこと

そして、何がその怒りを生んでいるのかを知ること

そこから少しずつ、怒りに振り回されないあり方を身につけていきたいと思っています

まずは切り替えられること。その先には……

とはいえ、今の私はまだまだ怒ります(笑)

腹が立った出来事を思い返しては、また腹が立つこともあります

頭の中で何度も蒸し返して、ブスブスと怒りがくすぶっていることもあります

そんなときに、いきなり「怒ってはいけない」「相手にも事情があるはず」と自分に言い聞かせても、簡単には気持ちは変わりません

だから、まずは、

「あ、また怒ってるな」

と気づけるようになること

そして、その怒りを少し離れたところから眺めてみること

自分の価値観に気づき、相手についても自分の知らない部分があることを思い出す

そうして、少しずつ気持ちを切り替えられるようになりたいと思っています

そして、その先にはもう一つ、目指したいことがあります

以前なら腹が立っていた出来事にも、いつか自然と腹を立てずにいられるようになること

それは、他者への配慮や誠実さを大切にしなくなるという意味ではありません

よくない行動を見て「それは違う」と思うことはあっても、そこで強い怒りにとらわれずにいられる

必要なら、落ち着いて伝えればいい

それ以上、自分の心を怒りでいっぱいにしなくてもいい

そんなふうになれたらいいなと思っています

怒りは、自分を知る入り口になる

今回、ちょっとしたイライラから、自分が大切にしている価値観が見えてきました

そして、その価値観が「他人もこうあるべき」という期待になっていたかもしれないことにも気づきました

最初は、ただ「なんやねん、あの人💢」だったのに(笑)

感情を観察していくと、こんなふうに自分の内側が少しずつ見えてくることがあるんですね

私は、怒りを無理やり押さえ込むことが、心を穏やかにする方法だとは思っていません

まずは気づく

なぜ怒ったのかを知る

そこから、自分の反応を少しずつ選べるようになっていく

スヴァーディヤーヤで自分を知り、アヒンサーへと向かっていく

今はまだ、その途中です

怒りを感じた自分を責めるのではなく、怒りを正当化するだけでもなく

「このイライラは、私に何を知らせているんだろう?」

そう問いかけながら、少しずつ自分の心を育てていきたいと思っています

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